『介護ガール』《起》バージョン1・0
1
「まさかナマコでこんなことになるなんて」
車窓を流れる景色を見つつ呟いてみたが、笑えない。
両親がナマコインフルエンザにかかって死んだというのは、冗談にもならなかった。
地球全土に猛威を振るうこともなく収束したナマコインフルエンザの死者は世界で七人で、そのうちの二人が私の両親だった。これもまた笑えない要因の一つだ。
だから私は、笑っていいものか泣いていいものか怒っていいものか解らず、こうして一人、電車に揺られている。
窓の向こうに広がる風景は緑一色で、昨日まで当たり前に見ていたものとはまるで違い、私は少しだけこまる。木。草。川。こうしたものは私の暮らしに、当たり前のように存在しなかった。
四角く区切られた田んぼには二体の案山子が刺さっていて、物干し竿のようにロープがかかり、そこには古ぼけたブルーレイとウォーズマンとCDが吊るされていたけれど、そうした新旧カラスよけ対決に興味ない私は、とりあえず視線を遠くに向ける。
山。
私が住んでいた町は多分、あの山の向こうにある。トンネルを三本通ったのだから間違いない、のだろう。
だけど私は自分がこれから向かう村の名前を知らなければ、そういえば自分が住んでいた町の名前も知らないのだった。
バッグの中で携帯電話が震えたので取り出してみると、戦争君からメールがきていた。
『いつ帰ってくるー?』
私はびっくりした。今まさに向かっている電車の中にいるのに、戦争君はそれを知っているはずなのに、どうしてこんなメールを送ってくるのだろう。
『まだだよ(牛)出発したばっかじゃん(轟)』
『そうなんたーわかった』
私は再びびっくりして、携帯電話を閉じたが、それだけではどうにも満足できなくて、電源を切る。『そうだんだ』ってなんだろうか。戦争君は三歳上の二十一歳だけど、きっと私よりも頭が悪いと思う。
私も馬鹿だけど、戦争君よりは頭がいい。
だから両親がナマコインフルエンザで死んだことも、これから見知らぬ田舎の村に行くことも、それ自体を実は楽しんでいることにも気づいていた。
電車が走る。電車に揺れる自分。車内に流れる弱い冷房。車窓から見える真新しい景色。電源を切った携帯電話。こうした、どうしようもない単なるシーシャンケルな言葉が、どうにも気分を喜ばせる。
新生活。って言葉をわざと思いついてみる。上出来だった。私の十八年の人生のなかでも、そこそこの上出来だ。私は座席にもたれながら、意識してほほえんでみた。自分に向けてのサービス。上機嫌。
2
それから一時間か二時間かは解らないけれど、ちょっとばかり長い時間が経過して、電車は駅に到着した。
時計を見るとまだ午前十一時ちょうど。
そういえばこれは朝一番の電車だ。今日ほどの早起きも今日ほどの遠出もひさしぶりだったので、それらも上機嫌の理由の一つかもしれない。
小学四年生のとき、小さな山まで遠足に行ったことがあって、
確かなことは云えないけれど、それ以降、早起きをしたことはなかった。学校は遅刻の常習犯で、高校を終えてバイト生活に入っても、いつだって夜の仕事(といっても、カラオケの店員とかだけど)以外はしなかった。早起きというのがこんなに気持ちのいいことを、今まで忘れていた。だけど私は戦争君より馬鹿じゃないから、こうした早起きの気持ちよさが数日しかつづかないことを知っている。
でも、いいや。
電車を降りると階段を下りることも通路を歩くこともなく、すぐ向こうに改札が見えた。私は切符(切符を買うなんて何年ぶりだったろう)をポケットから取り出して改札に……入れる場所がない。尋ねようにも駅員はおろか人もいない。
突破した。
怒られなかった。
だいたい本当に誰もいないのだ。駅なのに誰もいないのだ(猫すら)。木造の駅舎は狭く、天井の高いガレージみたいで、カレンダーやら時刻表やらが大量に貼りつけているのに、それを読む者はいない。床も木造で、少し腐っているらしく、何かふやけた感触がサンダルから伝わった。でもまだ大丈夫。まだ全然上機嫌。
駅から一歩出ると、畑がどこまでも広がっていた。私が昨日まで暮らしていた町の駅前は、コンビニエンスストアとファミリーレストランと服屋で作られていたけれど、ここにあるのは畑だけ。もうちょっと優しく見ると、公衆電話とバス停はあった。それだけ。
顔を上げると、無駄に広い青空があって、もちろんそれもそれだけで、私はゆっくり歩き出した。舗装されていない道はサンダルには厳しくて、ヒールで踏みつけた小石が邪魔で、うっとうしい。歩きはやめてバスに乗ろうと思ったけれど、あと三時間も待たなくちゃならないみたいなのであきらめた。私の暮らしていた町は、十五分に一本はバスが走っていたし、そもそもバスなんて年寄りだけが乗るものだった。電車だけで何とでもなるものだ。
かかとに痛みを感じつつ、初めての道を歩く。無駄に広い青空に昇る太陽は、ふんわり優しい熱を放っていて、私はその匂いを嗅ぎながら新鮮な、少なくとも新鮮だと思える気持ちを持っているのに気づく。
どうしたって不幸だけど、悲しんでばかりもいられないし、そもそも本当に悲しいのかどうかも解らない。
ナマコインフルエンザを、私はどうやって処理すればいいんだろう。両親の死を、私はどうやって感じればいいんだろう。
私はもしかしたら薄情なのかもしれないと、ためしに思ってみる。違和感はなかった。私はもしかしたらむごい人間なのかもしれないと、ためしに思ってみる。違和感はなかった。
ほとんど初めての自然が新鮮で気持ちいい。
そう思えるなら、思えるうちに、思っておこう。
実際、何のへんてつもない道を歩くだけでも楽しかった。かかとはちょっと痛いけれど、コロコロを引きずる音も心地良く、からっとした風も気持ち良くて、まあいいか、くらい。新生活とか、人生の第二幕とか、そうした格好良いイメージはないけれど、まあ悪くはないか、くらい。親が死んでもお腹はすくし、人生はつづくのだ。小さな新鮮の連続が幸福を生むと思いこめば、今の私はやっぱり幸福なのだろう。
少なくとも、火葬場で過ごした先週よりは幸福。
ナマコインフルエンザで両親が死んだら、当たり前だけど周りのリアクションは薄かった。薄いというか、どんな反応をすればいいのか解らないみたいだった。
ニュースは大して取り上げないし、世間は苦笑してくるし、それでも親は死ぬし、私は十八歳無職だし、良く解らないうちに葬式が終わり、良く解らないうちに火葬場で親が燃やされ、そのときは泣かなかった。泣かなかったけれど、愕然? で合ってる? それになった。それになった気がする。
親の骨を見るのは、とても疲れる作業だ。そしてとても親不孝な気分にさせる。母親に金歯があることを、私は彼女が骨になるまで知らなかったし、父親がとても細い骨の持ち主だったことを、焼かれるまで知らなかった。
小学四年生の遠足以降、私の中にあったやる気の全部が消え失せて、何もしなくなった。
運動会も宿泊学習も修学旅行も受験勉強もテスト勉強もせず、
ズバッと云ってくる人は『ゴミムシ』と云いそうな人生だった。
理由はない。
勉強する理由がない以上に、勉強しないことに理由はない。
勉強しない私は順調に手足だけがすんなり伸びて、お金を払えば入ることができる高校を卒業し、無職になった。実に正しい流れだった。そして怒られた。これも正しい流れだった。なので私は、あるときはカラオケショップの店員、あるときはガソリンスタンドの店員に姿を変えて、のんびりと生きた。戦争君と知り合ったのもそのころだ(ったはず)。
でも、そういう親不孝よりも、親の骨を見る親不孝は、強い。
泣かなかったけれど、どうして泣かないんだろうとは思えた。
どうしても泣けない私は、ノドがかわいたことにして斎場を出て、自動販売機でコカコーラゼロを買った。
「きみ、娘さんだよね?」
声をかけられたので振り返ると、見知らぬ男の人が立っていた。覚えようと努力しなかったので、その人の名前も容姿も覚えていない。だけど声は低かった。気がする。
「はあ」
気の抜けた声を出すのは得意なので、そう答えた。
男の人は、『私はこれこれこういう者です。こうした仕事をして、ああした評価を受けています。このたびの不幸について、心中お察しします』ということを語り、最後に自分と私の血縁関係を明かした。遠い親類らしいが、ほとんど他人というわけだ。
「それでええと」男の人は私の顔を見ながら云う。「その、きみの……」
「マヤです」
察して名乗った。
「ああ、マヤちゃん」男の人は聞き覚えのなさそうな顔を一瞬だけ浮かべ、一瞬で隠す。「それできみには、僕よりも遠い親戚がいてね」
「はあ」
ならば本当に他人だ。
「それで、来週からそちらの家で世話になることになった。急な話で悪いけど。勝手に決めて悪いけど」
「助かりますよ。私このまま、路頭に迷うと思ってたので」
「あっさりしたものだね(笑)」
男の人は評価するような否定するような声だった。
「ほかにないですし、方法……。あったら、努力はします」
「もうしわけない。皮肉のつもりじゃなかったんだ」男の人はポケットから紙切れを取り出す。「これが住所。ずいぶん遠いが、手はずは整えているし、先方も歓迎している。安心してほしい」
「はあ」
絶対にこれから『はあ』だけで通してやると思いながら、紙切れを受け取った。
そして今日、紙切れの誘導にしたがって電車を乗り継ぎ、この村にやってきた。気分も気持ちもすっきりというわけにはいかないけれど、しくしく泣くよりはましだろう。十八の女にしては、私は割と強い方だと思う。そうでなくても、何も考えてないだけだとしても、考えすぎて潰れるよりは楽だ。
コロコロを引きずりながら歩いていると、原っぱの向こうに錆びたバスが放置されていた。
こういうものもあるのか。
テレビや映画では良く見る映像だけど、本当にあるとは思わなかった。この原っぱは誰のもので、バスは誰のもので、どうして遺棄されたままなのだろう。誰も怒らないのだろうか。誰もこまらないのだろうか。
捨てられたバスが三台目をむかえたあたりで、何だか自分がループしているような気がしてきた。変わらない景色。見慣れない距離感。お気に入りのサンダルは足を痛めるだけの存在になりつつある。
どれだけ歩いても、村が、家が、見えてこない。
「はあ」
バスに乗れば良かったと後悔した。私のこれからの生活に、電車はほとんど関係なくなるのだ。
田舎の人の『すぐそこ』は当てにならないとは良く云うけれど、なるほど確かに距離がおかしい。私はサンダルを脱ぎたくなる気持ちをこらえて、コロコロを引きずって歩きつづけた。
馬小屋のようなものと豚小屋のようなものを通過し、ちょっとばかり不安になるような林を越えたところで、ようやく村が姿を現した。
いや、
限界集落。
人が住んでいるようにはとても見えない。青いトタン屋根の家。見捨てられた家。見捨てられた畑。油の染みた木の電柱。そこに貼られた見たこともないドリンクの看板。
というより、店がなかった。
コンビニやファミレスなんて期待は別にしていなかったし、そういうのがないと生きられないってわけでもないので、そこは別にいい。
だけどこれじゃ、パンも買えない。
まさかパンも買えない村だとは思わなかった。
店がないのは人がいないからだし、人がいないのはその村が必要とされていないからだ。私がそんな村にきたのも、やっぱり必要とされていないからで、とはいえ村にも私自身にも同情なんてしない。
私はコロコロの取っ手を持ち直すと、足の痛みを無視して歩き出した。
3
田舎の『すぐそこ』はもしかしたら当てになるかもしれないと思い直す。
村そのものの範囲はとても狭いので、目的の家はすぐに見つかった。幸いトタン屋根ではなかったし、二階建てだったし、窓がビニールだったりはしなかったけれど、つまり普通の家ってことで、何となくがっかりして、何となくほっとした。
汗をぬぐい、額に貼りついた髪を整え、ワンピースの裾をぱたつかせる。親類とはいえ今日まで会ったこともなく、ナマコインフルエンザの一件がなければ会わないまま終わっていた程度の関係だ。身だしなみはしっかりしよう。第一印象が大切なのは、さすがの私も知っている。
インターホンを押した。
返答なし。
もう一度押してみる。
やっぱり返答なし。
連続して押してもやっぱり何も起こらないので、壊れているのかもしれないと思い、拳で殴ってみた。
二階から植木鉢が落ちてきた。
耳もとをかすめて落下した植木鉢は地面に激突して、はでな音を立てて割れる。飛び散った土がサンダルを汚す。
あわてて顔を上げると、しわくちゃの腕が窓から伸びていた。
ドアノブをひねる。
鍵はかかっていない。
私はコロコロをその場に置いて、飛びこむようにして家に入った。マンション住まいだった身からしてみれば、びっくりするほど大きな玄関には、長靴が一つあるだけで、私は大股で歩きつつサンダルを脱いで、階段を駆け上がった。
二階にはやたらと段ボールが積まれていて、林檎だの蜜柑だのの絵が描かれていた。隙間を縫うように進み、玄関の位置から推測した部屋を見つけ、中に入る。
むっとくる異臭。
広い部屋の壁際にはパイプベッドが置かれていて、その上に、何かがいた。
私は最初、少なくともそれを『ヒト』とは認識しなかった。どちらかといえば『モノ』だった。
物体だった。
だけどその物体は動き、睨み、口を開く。
「っっっっせええええあああああああああああ」異常な声だった。「インターホンはぁ一回押せば聞こえるだろうがあ! 一回で! 一回でええ!」
私はぞっとしたし、そう叫ぶ物体の首筋が今にも折れそうなほどの細さに気づいたけれど、そうした諸々の気持ちを脇に置くことにした。
「これからお世話になります。マヤと云います」私は小さく頭を下げた。「よろしくお願いします」
「ああああ?」
「ええと、ほかに誰かいないでしょうか」
「……あーーーー。あーー」物体のような老人は、震えながら頭部を持ち上げた。「お前はずるい野郎だな。そういう考えか。解った。解った解ったああ解った」
「ほかに誰かいないでしょうか」
私は言葉をくり返す。
「いないぞ」即答だった。「この家にゃ、俺しかいない」
「……え? でも」
「びっくりしただろうが、俺しかいない。何度も云わせるなよなあああああ! インターホンも何回も何回もおおおお!」
再び怒鳴られる。
私としては、どうしたいのだろうか。『そんなことを云われた私は、○○と思った』みたいなものが、出てこない。
そういうものじゃない。
そういうことじゃない。
私はとにかく急激に疲れて、ちょっと意外にも戦争君のことを考えた。
4
あてがわれた部屋は一階の和室だった。和室に憧れたことは正直一度や二度はあったが、やっぱり不便だと思う。とりあえず、取ってきたコロコロと畳が似合わない。
コロコロの中から服だのポーチだのタオルだのネオジオポケットだの水没ピアノだのドライヤーだの3DOだのをひっくり返しても、ちっとも自分の色に部屋が染まらない。私は畳の驚異に気づきつつ、もう一つの驚異にも気づいた。
仏壇があった。
ほこりをかぶった、明らかに長いあいだ手入れのされていない仏壇。開いたとしても、どうせマジックで塗り潰された遺影なんかが出てくるだけだし、私は戦争君のことを考えるくらいに疲れているのは自覚していたので、そのままにしておいた。
そんな仏壇と畳と卓袱台で構成された和室をコーディネイトするのは無理なのであきらめた。大体、広すぎる。畳が十二枚ということは十二畳。こんなに広い部屋をどうすれいいのか、マンション住まいだった私にはまるで解らなかった。
それでも、とりあえず、電化製品だけはしっかりやろう。
人は電気があれば生きていけるし、こんな村にも電気はある。
携帯電話とiPodとウォーズマンとガンダムWを充電し、とりあえず新しい自分の家を散策することにした。
一階には私の部屋となった和室、広い居間、ダイニングキッチンがドアを隔てて繋がっていて、あといろいろたくさん部屋があって、それで解れ。あとで直すから。
二階も散策したいのだけども、あの老人がいるのでどうにも抵抗がある。自分の家なのに抵抗。これから自分の家になるのに抵抗。これは良くない兆候だ。
こうした悲劇、テレビで百個くらい観たことがある。
私はその中に自分を組みこむほど、組みこむほど……どうなのだろう、解らないけれど、自分をこれ以上の不幸にしたいとは思っていない。
とはいえ二階に進む気力はやっぱりないので、散策をやめて外に出ることにした。小さな散策より大きな散策。
サンダルに足を通したら土と砂粒でじゃりじゃりと不快。汚れを落とそうと腰を屈めるのも癪なので、一足だけ置かれた長靴に足を入れた。ぶかぶかしてて、ちょっといい。
子供の頃を思い出そうとすれば思い出せたけれど、それは両親を思い出すことになるし、今はそうしたものは面倒になると判断して、とりあえず長靴のぶかぶかだけに集中しつつ、玄関を出ようとした。
「……ぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
奇声。
奇声というより、本当に声なのかも疑わしい、音。
「ぃいいいいいいいぃいいいいいいぃいいいいいい!」
くり返される。
二階から、くり返される。
私はどうすればいいのだろうか。サンダルに履き替えて、玄関を飛び出して、逃げられるとこまで逃げてしまえばいいのだろうか。
でも私は残念だけど馬鹿で、とはいえ本当の馬鹿じゃなくて、自分に逃げ場所がないことをすっかり理解している。
長靴を脱ぎ捨て、二階に向かった。いろいろ負けた気がしたけれど、今度は階段を駆け上がらなかったので、気分としては引き分け。
段ボールの山を乗り越えて、部屋に入る。
ベッドに横たわる老人が頭を起こして、私を睨みつけた。
「ぃいいいいいいいいいいいいいいいいい」どこからこのような大声が出るのだろう。「いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
「ごめんなさい。あの、ちゃんと云って下さい」そう頼むしかなかった。「言葉が解れば、なんとかできますので」
「……言葉?」意外にも正しい発音。「言葉っておい言葉って何だお前は。俺はちゃんと話しただろうが。なあ、なあ違うか」
「違うと……思います」
「そうだろうな。そう云うと思ったよ。まったくそう云うと思ったよ」老人はしつこく言葉をくり返した。「叫んだのは悪かった。俺は二階。お前は一階。声が届かないと思ってな。解るか?」
「ええ」うなずいておこう。「それで、何か用でしょうか」
「昼飯を作れ。お前、今が何時が知ってるか?」
「十二時くらいですかね」
「正解だよ。大したものだよ。お前の腹時計がなせる技か? お前は意地汚い女か?」
「自分をそんなふうに考えたことはありませんが、そうかもしれませんね」
「ラーメンサラダ食べたい」
「ラーメン……はい?」
「ラーメンサラダだよラーメンサラダ! ああああ言葉ちゃんと使っただろうがああ!」老人の頬が震え始める。「お前作る人!」
「お言葉ですが、自分で作ったらいいんじゃないですか」
「早いな。化けの皮が剥がれるのが」口元だけで笑われた。「俺は寝たきり老人だぞ。見て解らないのか、それを」
「とてもそうは思えませんよ、見ただけなら」
「障害者手帳、あるぞ。仏壇を開けてみろ。どうせ開けてないだろ」老人は右手をぶらぶらと振った。「まともに動かせるのは、これくらいさ」
「信じられません」
「それは、お前の宗教観の問題か? とにかく飯を作れ。ラーメンサラダを作れ。もう一度叫んでもいいんだ、俺としちゃあな」
「叫ばれたくないです」嫌な感じの手ごわさを感じ、素直に答えた。「解りました。ラーメンサラダを作ります。最低限の礼儀として、レシピを教えて下さい」
「えっ」露骨に驚いた表情。「お前、ラーメンサラダの作り方を知らないのか?」
「作り方も何も、存在を初めて聞きました」
「何のためにお前がきたと思ってんだああああああああああああああああ」右腕が激しく振り回される。「い、いっ、いい加減にしろよ……。何を考えてんだよおおお! くそ、くそおおおおおおおお!」
老人の右腕に、やや理性めいた暴力が宿るのを感じる。
右腕が動き、窓が開けられる。
反射的に踵を返し、一階に駆け降りた。
あの老人のように大声で叫べたらどんなにいいだろう。叫びたかった。叫べるものなら叫びたかった。だけど私はやっぱりかんじんなところで馬鹿じゃないので、キッチンで冷蔵庫を開けてしまう。
だからレシピが解らない。
二階から、何かが割れる音が響いた。
私は和室に駆けこみ、携帯電話の電源を入れ、ツイッターを開くと、こう呟いた。
『ラーメンサラダなう』
(《承》につづく)




コヒメ 2010年02月25日(木)18時03分 編集・削除
これはひどい。笑いが止まらない。